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ボヘミアングラスの歴史②

19世紀に入ってからもボヘミアでは引き続き最初の25年間は無色クリスタルのカットガラスが主に作られていました。
繊細なレース模様で有名な「500PK」カットのデザインもこの頃発表されました。

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1830年ごろからは状況が一変し、鮮やかな色彩ガラスが復活しました。
ガラス自体に色が付いたもの、透明ガラスに色ガラスを被せたもの、ガラスの表面を化学的に着色したものなどです。

当時赤いグラスは万病を治す魔法の力を持っていると信じられていました。 1832年、ガラス職人B・フリードリッヒ・エーゲルマンは塩化第二銅、塩化銀に他の溶剤を混合した溶剤をガラスの表面にコーティングして瑪瑙のような「赤いグラス」を作ることに成功しました。
その後赤いグラス以外にも、苔のような落ち着いた緑色のグラスも製品化されていきました。

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1840年代には、オパールグラス(乳白色の半透明ガラス)や白い不透明グラスが流行しルイ15世時代のフランス様式をまねた装飾が絵付け(ハンドペイント)されました。

1850年ごろにかけては「エングレーヴィング」(彫刻)の技法が大きく進歩しました。
「エングレーヴィング」は「カット」と違い、ガラスの表面を彫刻することにより図柄を表現していく技法で当時は人物像などがもてはやされました。
対して「カット」はガラスの表面を太い線、細い線を駆使しながら連続的な模様を彫り込んでいきます。

作業的には、「エングレーヴイング」は削る刃(グラインダー)の向こう側にガラスを持ちガラスが削り取られる様子を直接見ながら彫刻していきます。
これに対して「カット」は、削る刃(グラインダー)の手前にガラスを持ち、ガラスを通して削り取る箇所を見ながらカットしていきます。

北ボヘミアや温泉地のカルロヴィ・ヴァリでも保養客用に技法を凝らしたエングレーヴィングの土産物が販売されたりしました。

19世紀末になるとボヘミアでもアールヌーヴォー様式が取り入れられ、レッツ・ガラス工房では虹彩ガラスが、ハラホフ工房ではエミール・ガレの影響を受けた被せガラスが作られました。

第二次世界大戦後、ボヘミアのガラス作家やデザイナーたちは多様な伝統から出発しそれらを生かしながら新しい方法でガラス作りにアプローチして成功を収めています。

ボヘミアングラスは現代においても、伝統的な技法による工芸作品から日常用のグラスまで幅広く作り続けられ、世界の人々の信頼を得ています。

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