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ボヘミアングラスの歴史①

ボヘミアングラスはチェコのボヘミアで作られるガラス製品のことを指します。 英語で「BOHEMIA GLASS」「BOHEMIAN GLASS」などと記されますが、日本語では「ボヘミアガラス」や「ボヘミアグラス」などとも呼ばれています。
GLASSの発音は日本語の「グラス」に近いので、ここでは「ボヘミアングラス」と呼ばせていただきます。

ボヘミアで作られるガラス製品ということは、例えば日本で言うと「石川県の九谷で作られる九谷焼」「佐賀県の有田で作られる有田焼」などと同じ意味合いです。
それではボヘミア地方とはどのあたりを指すのでしょうか。
現在のチェコ共和国の中でプラハを中心とする西側及び北側がボヘミアと呼ばれています。

但しヨーロッパでは日本と違い民族の移動や国の変遷が激しく移り変わります。
13世紀の「ボヘミア王国」が広大な時代にはバルト海沿岸までその支配が及んだこともあり、また20世紀初頭にはチェコとスロバキアが一つの国家となり、その後社会主義国家に変遷し、スロバキアで生産されたグラスもボヘミアングラスと呼ばれていました。

それぞれの時代の「ボヘミアングラス」の意味は時代とともに変遷してきてはいますが、現在ではチェコ製プラス一部スロバキア製のものが「BOHEMIA GLASS」と呼ばれているようです。

民族大移動後、5~6世紀にボヘミア地方に定住したスラブ族が9世紀初め、この地に大モラビア帝国を建設しました。
この帝国はマジャール人の侵入によって100年ほどしか続きませんでしたが、その文化的水準は高くガラスのビーズや指輪が当時の居住地跡から発見されています。

この文化の伝統がプシェミスル家のボヘミア王国の時代に引き継がれていきます。
ボヘミア王国はカレル4世が1355年、神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれたころに黄金期を迎えますが、ボヘミアングラスの製造もこの頃から本格化していきます。
これまでのガラスビーズやステンドグラスなどに加えて、ワイングラスやタンブラーなどのグラスが盛んに作られるようになったのです。

16世紀に入りボヘミアはオーストリアのハプスブルク家の支配に入りその統治はその後400年、20世紀まで続くことになります。

ハプスブルク家の皇帝ルドルフⅡ世が熱心な収集家で、絵画や美術品の他特にに宝石類を愛好し、16世紀末にはプラハは宝石彫刻の中心地の一つとなりました。

ボヘミアングラスと並び評されるベネチアングラスの様式はイタリア・ルネサンスとともにチェコにももたらされましたが、ボヘミアングラスはその性質からベネチアとは別の方向に必然的に進むことになったのです。
すなわち、ベネチアングラスは熱いうちにいろいろな形を形成できる柔軟性を持っていましたが、ボヘミアングラスにはその性質がありませんでした。(ベネチアングラスのユニークな造形美はボヘミアングラスではあまり見ることのできない特色の一つです。)

ボヘミアではむしろ天然の水晶に似た非常に純粋で硬い透明ガラスに彫刻する技法が発達しました。
これはプラハが宝石彫刻の中心地であり、宝石彫刻家カスパー・レーマンが起用されたことなどが、ボヘミアングラスの純粋で硬く透明な性質を生かす条件が整っていたことによると考えられます。

その後ボヘミアングラスは繁栄し18世紀末には80近くの工場が存在しましたが、19世紀初めのナポレオン戦争やイギリスのダイヤモンドカットによる鉛クリスタルの躍進に押され一時その勢いは衰退します。

しかしボヘミアのガラス職人たちは新しい装飾模様を取り入れ、イギリスの鉛クリスタルに対抗、イギリスを凌駕しました。
その結果、ボヘミアでは1820年代以降はいわゆる「カッティング」がボヘミアングラスの主流となりました。

⇒現代の「ボヘミアングラス」はこちらから

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