ブランドについて

PENSOFAL(ペンソファル)について




ペンソファル社は1985年創業、現在はイタリアの南部、ナポリ近郊Nola(ノーラ)という町で、主にノンスティック加工調理器具を生産、年間約1500万個の生産能力を持っています。
ノウハウを蓄積し、多数のユニークな特許を取得、「Thinks for you every day」をコンセプトにして世界60ヶ国に販売、便利で楽しい調理器具を開発し続けています。

⇒ペンソファルのホームページはこちらです。

<技術革新の歴史>


本体のアルミに網状にステンレスを合体させる「ダブルボトム」の特許を取得(1991年)


蜂の巣レリーフ(特許取得)のノンスティックコーティング「インダクタ」を発売(1993年)


フタをロックして水切りできるパスタ鍋で特許取得(1997年)


新しい「ダブルボトム」の底を開発・特許取得(1999年)


スチーム鍋で特許取得(2001年)


内面コーティング「バイオタンク」発売(2008年)


内面コーティング「バイオセラミック」発売(2009年)


自然の鉱物を付加した新コーティング「バイオストーン」発売(2013年)


著名なシェフ、ブルーノ・バルビエリ氏の監修の下「バイオストーン・ピュア」を発表(2014年)


ドイツ・フランクフルト見本市にて(2014年)

イタリア・ミラノ見本市にて(2015年)

<安心と安全>

ペンソファルのコーティング技術は、鉛や重金属はもちろん、フッ素樹脂加工で使用されるPFOAも使用していませんので、安心して安全にご使用いただけます。


ペンソファルの製品は、ドイツの検査機関TUV(テュフ・ラインランド)の検査済みです。
*TUVは1872年設立、世界69ヶ国に500の拠点を持つ世界有数の第三者認証機関です。

⇒ペンソファルの製品はこちらから。

ボヘミアングラスの歴史①

ボヘミアングラスはチェコのボヘミアで作られるガラス製品のことを指します。 英語で「BOHEMIA GLASS」「BOHEMIAN GLASS」などと記されますが、日本語では「ボヘミアガラス」や「ボヘミアグラス」などとも呼ばれています。
GLASSの発音は日本語の「グラス」に近いので、ここでは「ボヘミアングラス」と呼ばせていただきます。

ボヘミアで作られるガラス製品ということは、例えば日本で言うと「石川県の九谷で作られる九谷焼」「佐賀県の有田で作られる有田焼」などと同じ意味合いです。
それではボヘミア地方とはどのあたりを指すのでしょうか。
現在のチェコ共和国の中でプラハを中心とする西側及び北側がボヘミアと呼ばれています。

但しヨーロッパでは日本と違い民族の移動や国の変遷が激しく移り変わります。
13世紀の「ボヘミア王国」が広大な時代にはバルト海沿岸までその支配が及んだこともあり、また20世紀初頭にはチェコとスロバキアが一つの国家となり、その後社会主義国家に変遷し、スロバキアで生産されたグラスもボヘミアングラスと呼ばれていました。

それぞれの時代の「ボヘミアングラス」の意味は時代とともに変遷してきてはいますが、現在ではチェコ製プラス一部スロバキア製のものが「BOHEMIA GLASS」と呼ばれているようです。

民族大移動後、5~6世紀にボヘミア地方に定住したスラブ族が9世紀初め、この地に大モラビア帝国を建設しました。
この帝国はマジャール人の侵入によって100年ほどしか続きませんでしたが、その文化的水準は高くガラスのビーズや指輪が当時の居住地跡から発見されています。

この文化の伝統がプシェミスル家のボヘミア王国の時代に引き継がれていきます。
ボヘミア王国はカレル4世が1355年、神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれたころに黄金期を迎えますが、ボヘミアングラスの製造もこの頃から本格化していきます。
これまでのガラスビーズやステンドグラスなどに加えて、ワイングラスやタンブラーなどのグラスが盛んに作られるようになったのです。

16世紀に入りボヘミアはオーストリアのハプスブルク家の支配に入りその統治はその後400年、20世紀まで続くことになります。

ハプスブルク家の皇帝ルドルフⅡ世が熱心な収集家で、絵画や美術品の他特にに宝石類を愛好し、16世紀末にはプラハは宝石彫刻の中心地の一つとなりました。

ボヘミアングラスと並び評されるベネチアングラスの様式はイタリア・ルネサンスとともにチェコにももたらされましたが、ボヘミアングラスはその性質からベネチアとは別の方向に必然的に進むことになったのです。
すなわち、ベネチアングラスは熱いうちにいろいろな形を形成できる柔軟性を持っていましたが、ボヘミアングラスにはその性質がありませんでした。(ベネチアングラスのユニークな造形美はボヘミアングラスではあまり見ることのできない特色の一つです。)

ボヘミアではむしろ天然の水晶に似た非常に純粋で硬い透明ガラスに彫刻する技法が発達しました。
これはプラハが宝石彫刻の中心地であり、宝石彫刻家カスパー・レーマンが起用されたことなどが、ボヘミアングラスの純粋で硬く透明な性質を生かす条件が整っていたことによると考えられます。

その後ボヘミアングラスは繁栄し18世紀末には80近くの工場が存在しましたが、19世紀初めのナポレオン戦争やイギリスのダイヤモンドカットによる鉛クリスタルの躍進に押され一時その勢いは衰退します。

しかしボヘミアのガラス職人たちは新しい装飾模様を取り入れ、イギリスの鉛クリスタルに対抗、イギリスを凌駕しました。
その結果、ボヘミアでは1820年代以降はいわゆる「カッティング」がボヘミアングラスの主流となりました。

⇒現代の「ボヘミアングラス」はこちらから

ボヘミアングラスの歴史②

19世紀に入ってからもボヘミアでは引き続き最初の25年間は無色クリスタルのカットガラスが主に作られていました。
繊細なレース模様で有名な「500PK」カットのデザインもこの頃発表されました。

⇒おすすめの500PKカットのワイングラスはこちらです。

1830年ごろからは状況が一変し、鮮やかな色彩ガラスが復活しました。
ガラス自体に色が付いたもの、透明ガラスに色ガラスを被せたもの、ガラスの表面を化学的に着色したものなどです。

当時赤いグラスは万病を治す魔法の力を持っていると信じられていました。 1832年、ガラス職人B・フリードリッヒ・エーゲルマンは塩化第二銅、塩化銀に他の溶剤を混合した溶剤をガラスの表面にコーティングして瑪瑙のような「赤いグラス」を作ることに成功しました。
その後赤いグラス以外にも、苔のような落ち着いた緑色のグラスも製品化されていきました。

⇒現代の「エーゲルマングラス」はこちらから

1840年代には、オパールグラス(乳白色の半透明ガラス)や白い不透明グラスが流行しルイ15世時代のフランス様式をまねた装飾が絵付け(ハンドペイント)されました。

1850年ごろにかけては「エングレーヴィング」(彫刻)の技法が大きく進歩しました。
「エングレーヴィング」は「カット」と違い、ガラスの表面を彫刻することにより図柄を表現していく技法で当時は人物像などがもてはやされました。
対して「カット」はガラスの表面を太い線、細い線を駆使しながら連続的な模様を彫り込んでいきます。

作業的には、「エングレーヴイング」は削る刃(グラインダー)の向こう側にガラスを持ちガラスが削り取られる様子を直接見ながら彫刻していきます。
これに対して「カット」は、削る刃(グラインダー)の手前にガラスを持ち、ガラスを通して削り取る箇所を見ながらカットしていきます。

北ボヘミアや温泉地のカルロヴィ・ヴァリでも保養客用に技法を凝らしたエングレーヴィングの土産物が販売されたりしました。

19世紀末になるとボヘミアでもアールヌーヴォー様式が取り入れられ、レッツ・ガラス工房では虹彩ガラスが、ハラホフ工房ではエミール・ガレの影響を受けた被せガラスが作られました。

第二次世界大戦後、ボヘミアのガラス作家やデザイナーたちは多様な伝統から出発しそれらを生かしながら新しい方法でガラス作りにアプローチして成功を収めています。

ボヘミアングラスは現代においても、伝統的な技法による工芸作品から日常用のグラスまで幅広く作り続けられ、世界の人々の信頼を得ています。

Gien(ジアン)について

<第3の道>
1710年にドイツでマイセン窯が設立され、カオリンを配合した磁器が初めて製造されました。それまでは、ヨーロッパ各地の王侯貴族は中国の景徳鎮や日本の有田など「東洋の白い宝石」と呼ばれた磁器を東アジアから輸入し、その収集熱はエスカレートしていました。
マイセンの成功以来、ヨーロッパ各地で磁器の製造工場が盛んに作られ、ウェッジウッド、スポード(英国)、アウガルテン(オーストリア)、セーブル、ベルナルド(フランス)、フッチェンロイター、ビレロイ&ボッホ(ドイツ)ロイヤルコペンハーゲン(デンマーク)、リチャード・ジノリ(イタリア)、アラビア(フィンランド)などの有名工場が18世紀~19世紀前半にかけて次々に設立されていきました。
一方、磁器に対していわゆる「土もの」である陶器はオランダのデルフトやスペイン、イタリアのマジョリカなどで引き続き作られていました。
ジアンは1821年設立、陶器の原料にカオリンを入れることにより陶器でありながら生地の白さも追及しました。磁器にはない「土もの」の温かみと普通の陶器にはない白さを持った第3の「ジアンの陶器」が完成したのです。

<ジアンの勲章>
ジアンは1889年のパリ万国博覧会で高さ3mもある花瓶「孔雀」を出展し、グランプリを受賞する栄誉に輝きました。
また1974年にフランスではじめてのサミットが開催されたときに、大統領主催の晩餐会にジアンの食器が使用されました。

<コルベール委員会>
ジアンが会員となっている「コルベール委員会」はフランスの高級ブランドが集まる組織で、世界にフランスを代表し、文化的財産として認められているブランドが所属しています。ジアンの他、シャネル、バカラ、ラリック、エルメス、セーヴル、クリストフル、サンルイなどが会員となっています。

<ジアンの色>
ジアンの特徴のひとつは何といっても、そのデザインと色彩の豊かさです。デザインは有名デザイナーを起用する場合が多く、パトリック・ジュアン、ドミニク・ラウンド、アンドレー・プットマン、イザベル・ド・ボルシュグラーヴらの名をあげることができます。
色彩の豊かさはその転写シールの開発技術によります。すなわち「ミルフルール」などは20色以上のカラーが使われていますが、それらのカラーが何層にも重なったシールを制作する技術は世界でもトップクラスといわれています。

<ジアンのデザイン>
ジアンでは、フランスを代表するデザイナーの活用による新作や、19世紀松に開発された作品のアーカイブを含め、年間2~4シリーズの新しいコレクションを発表しています。

⇒ジアン製品はこちらから

ジャストスレートについて

ジャストスレート
THE JUST SLATE COMPANY社はスコットランドのスレート製品(石のプレート)メーカーです。
天然スレートは水成岩の一種である粘板岩を、薄く割って板状にしたもので、高温で成型する陶器やガラス、プラスチックなどと違い、気の遠くなるような時間をかけて生まれた「地球が人類に与えてくれた貴重な贈り物」です。
緻密で吸水性が少なく、アルカリや酸に強く、自然石なので一つ一つがそれぞれ独特な模様を持っているのも魅力のひとつです。
天然スレートは、屋根ふき材や敷石などに多く用いられています。
ヨーロッパでは屋根材として広く用いられモン・サン・ミッシェル修道院、パリのルーブル美術館などにも用いられています。
近年になってそれが、「石のプレート」「石のボード」として使われるようになり、世界中のホテル、レストラン、家庭でも人気を呼び、注目されてきています。


ジャストスレートの製造工程
製品の製造はスコットランドで行っています。

ジャストスレートの使用
パーティーシーンを盛り上げてくれます。

ジャストスレート
天然スレートを使った、チーズボード、コースター、トレイ、バタートレイ、キャンドルベースなどシンプルでデザイン性の高いTHE JUST SLATE COMPANY社の製品は世界中の人々に愛されています。

⇒ジャストスレート製品はこちらから

QR

カレンダー
  • 今日
  • 定休日

ページトップへ